STORY
私は、昭和53年に岡山県岡山市に生まれ育ちました。
大学四年間を大分県で過ごした以外は、ずっと岡山市に住む、根っからの岡山県人です。
平成26年に現在の光南台地区に自宅兼整骨院を建て、整骨院を開業させていただきました。
柔道
私はやや肥満児で、小児喘息があり、あまり健康優良児といえるような子供時代ではありませんでした。
そんな時、両親の勧めで、近くの大元宗忠神社内にある生々館道場で柔道を始めました。
それまで長く物事を続けるという事がなかった私ですが、すっかり柔道の魅力に取りつかれ、
小学校・中学校・高校・大学・専門学校と柔道を続け、主将を務めさせていただきました。
全国大会で活躍するような胸を張れる選手成績は残せませんでしたが、元来子供が好きだった私は、
地域の子供たちに少しでも柔道の魅力を伝えていきたい、その思いから、
出身道場の隣の鹿田柔道スポーツ少年団で少年柔道指導者としての活動を本格的にスタートさせていただきました。
現在は、自分のチームでの指導を継続する傍ら、競技連盟や業界団体で、地域の少年柔道育成にも携わらせていただいています。
また自チーム主催の大会では、全国各地から約400名の選手を集める大規模な大会を行うなど、現在の形に拘る事無く、様々な活動に挑戦しています。
夢
私の将来なりたいと思っていた職業、夢。
小学校の卒業文集には「整骨院の先生になりたい」と書いていました。
中学校では、進学先を検討する中で、将来の夢として「父と同じ仕事をしたい」と思い、岡山工業高校に進みました。
高校では、部活動で努力していく中で「学校と柔道の先生になりたい」と思っていました。
小学校時代は、鎖骨骨折した時に治して下さった生々館道場の恩師・塚﨑康之先生への憧れ。
中学校時代は、いつも厳しく仕事に精を出し家族を支えてくれている父への憧れ。
高校時代は、いつも厳しく優しく見守り育ててくださった恩師・梶房晃先生への憧れ。
それぞれの時代で、常に憧れの人を見て育ち、夢を描いていました。
実際には、大学卒業後、父と近い土木現場管理の仕事に就きながらも「もっと人と人との繋がりを感じられる仕事がしたい」と思うようになり、三年間の会社員生活の後、恩師・塚崎康之先生のもとで専門学校に通いながら勉強させていただき、柔道整復師として整骨院の先生になる事が出来ました。
また、柔道指導者として子供たちの柔道の先生となり、また母校の専門学校で柔道や実技の授業の非常勤講師として活動させていただいています。
今こうやって夢を叶え、苦しいながら楽しく毎日を過ごせているのは、親や恩師の先生方のおかげだと常に感謝の気持ちでいっぱいです。
プライベート
私の趣味は、柔道です。というよりは、柔道はもはやライフワークですね。
我が子二人共、一緒に柔道しているので、私にとっては無くてはならないモノが柔道です。
あとは、ウェイトトレーニングが好きで、時間を見つけてはダンベルでコツコツトレーニングしています。
四十歳も過ぎましたので、太りやすい年代になってきたので、見た目年齢は勿論気になりますが、それ以上に健康にも気を付けて運動しています。
患者さまの健康管理に負けないように、そして、子供達にもまだまだ負けたくないので(笑)
BBQしながらダラダラとお酒を飲むのも好きで、時々整骨院の駐車場でBBQしているところを目撃されます(笑)
光南台整骨院
整骨院の名称、最近はおしゃれな名前の整骨院が増えています。
ですが、当院は、「地元に暮らす皆様の力になりたい」という思いから、地域の名前を冠にさせて頂きました。
また、当院のモットーは、「患者さまが持つ【自然治癒力】を最大限に【引き出す】施術を目指す。」です。
私自身、選手時代に沢山怪我をしましたし、今でも痛みに悩まされる事はあります。なので、患者さまと同じ悩みを持っている普通の人間です。
そして、残念ですが、私は魔法使いでもないし、神の手を持つスペシャルな人間ではありません。普通の柔道整復師です。
私は、怪我や痛みを治せるのは、全て患者様の力だと考えています。
患者様が「治りたい」と思い、患者様が「生きている」事が、「治る」ための最低条件だと考えているからです。
だからこそ、「治りたい」と懸命に「生きている」患者様が、一日でも早くキレイに「治る」まで、患者様のお身体に触れ支える治癒への一助を担えたら、それが私の柔道整復師としての思いです。
精一杯、患者さまに寄り添いながら「患者さまにとってより良い施術」を提供し続けて行えるよう、これからも努力して参りますので、どうぞよろしくお願い致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。